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トラジュビインタビューは皆様から寄せられる選手への質問を集め、インタビューするものです。
皆様の熱い!質問が選手を励ましすとともにピッチでは見られない素顔を引き出します。
あんなことこんなこと聞いてしまいましょう!
<大田尾選手インタビュー>

大田尾選手インタビュー。ヤマハジュビロへ入団して4年目を迎えた大田尾選手。
昨シーズンから、チームのバイスキャプテンをつとめ、リーダーの風格を感じるようになってきました。
試合前後に、話を聞く機会はありましたが、今回のようなロングインタビューは、初めて。
お待たせしました、大田尾選手の魅力をお届けします!

大田尾インタビュー、見出しテーマは
<春シーズン、チームの先頭へ立つ姿>
<ラグビーと出合ってから>
<後輩へ向けてのエール>
<ワールドカップへの想い>
<リーダーとして>
<ゲームコントロールの中で>
<ラグビーとは>
<トップリーグ開幕へ向けて>
順次掲載いたします。どうぞお読みください。

大田尾竜彦選手(副将)


木曽一選手(キャプテン)


トップリーグ会見でトヨタ麻田主将と


堀川隆延監督と


山村亮選手とは佐賀工同期


清宮監督(早稲田〜サントリー)


山田部長は20年に渡りチームを率いた


デラサウ選手


四宮選手


ワイサキ選手(兼コーチ)


レオン・マクドナルド選手と私


ネイサン・ウィリアムス選手(現ホンダ)


ブレンデン・レーニー選手(退団)

<春シーズン、チームの先頭へ立つ姿>

大田尾選手へ、初めてのロングインタビューということで、私が非常に緊張しています。どうぞ、よろしくお願いします!

大田尾「はははー、こちらこそよろしくお願いします!」

今シーズン、新しいチームになってから、春と夏は、個人スキルを上げることに重点を置き、練習を積み重ねてきました

大田尾「そうですね。春は、個人スキルを上げる練習を続けてきました。そういう意味で、バックスは結構スピードも出てきているし、ハンドリング等もよくなってきました。ある程度のところまで、個人的レベルは、到達したなと感じますね」

チームとしては、どうでしょうか

大田尾「試合数がまだ少なく、今は、メンバーが固定できないということもあり、チームとして1つになる為には、もう少し、時間が必要かなと、感じますね」

今年は、ラグビーワールドカップが開催(※1)。キャプテンの木曽選手(※2)が春から不在でした

大田尾「心がけていたのは、まずチーム全員に、去年からの課題を克服しようと、言い続けてきたことです。あとは、木曽さんがあまり気にしなくていいようなチームを作っていこう、ということかな。そこは、お互いの考え方が、ぶれてはいけないので、今のチームは、こんな感じですという具合に、チョイチョイ連絡をしながら、コミュニケーションを取っていました。とはいえ、ワールドカップが始まる1ヶ月前あたりから、チームのことは言ってませんね」

入団当初のやんちゃな印象から、最近は、落ち着いた雰囲気を感じます

大田尾「そうですか?」

自分の中で、意識的に変えてきた部分はありますか

大田尾「1年目、2年目と試合には出場していましたが、満足なプレーができてなかったんですよね。2年目が終わった時、そんな自分を見つめなおして、もっとしっかりやっていこうと思いました。ちょうど、3年目は、副キャプテンに指名されたタイミングでもあったし、決意をいっそう引き締めていこうと。それが、見た目からも、気持ちを感じ取れたのかもしれませんね」

昨シーズン(06−07シーズン)、副キャプテンに指名されました

大田尾「リーダーみたいなものに、なるだろうなという予感は、なんとなくありましたので、副キャプテンを指名されたことに驚きは、ありませんでした。でも、伝えられる前から、1・2年目の反省を胸に、しっかりいこう、という強い決心があったので、気負うこともなく、気持ちは
自然に構えられましたね」

副キャプテンの立場として心がけていることは

大田尾「チームを客観的に見る、ということですね。それまでも、僕は、スタンドオフというポジションなので、自分のチームの強みや弱みをはっきりと知っておかなければいけない。だから客観的に見るようにしていましたが、その感想を外へ言うことはなく、自分の中で消化していました。副キャプテンになってからは、その部分をある程度チームに伝えるようにしています」

※1)ラグビーワールドカップ:今年、9月7日(現地時間)から始まった、第6回ラグビーワールドカップ。フランスで開催。決勝戦は、10月20日(現地時間)
※2)木曽選手:木曽一選手。ヤマハジュビロのキャプテン。
今年は、ラグビーワールドカップ2007の日本代表メンバーに選出。3度目となるワールドカップの舞台へ立つ

<ラグビーと出合ってから>

大田尾選手がラグビーを始めたのは、小学校1年生。高校時代、花園出場の思い出、ラグビーで影響を受けた人物との出会い、そしてヤマハ入団までをお聞きしました

ラグビーを始めたのは

大田尾「小学校1年生ですね。スクールから始めました。でも、ラグビー一筋じゃなくて、小学校の4年生からは、部活動でバスケットをやっていました。中学校も、3年の夏まで、ほとんどバスケットでしたね。バスケットが終わった夏に、またラグビーを始めました」

ラグビーからバスケット、そしてラグビーへ帰ってきました

大田尾「一応、将来的に、勉強で高校へ行く、スポーツで行くというのがあったんです。バスケットは、チームの成績が良かったし、県選抜チームの一員として、選抜大会へ出場し、高校からの誘いもありました。でも、中学の2年半、バスケットをやって得た感触より、ラグビーの方が、舞台は、全国で戦えるんじゃないかなという感じを受けたんですよ。出身の県(※3)には、ラグビーの強い高校もありました。色々考えた中で、もう1度、ラグビーをやろうと思いましたね」

佐賀工時代の思い出は

大田尾「思い出といえば、とにかくきつかったことしかないですね。走って、当たってと、そこで、ラグビーの基礎を徹底的に叩き込まれました。練習量も基本的なことが多く、そのおかげで大学へ行っても苦労することなく、プレーできました。本当にいいステップが踏めたと、感謝しています。これが、逆で、基本がないまま、大学へいってたら、大変でしたね」

山村選手(※4)とは、高校が同じでした

大田尾「亮(※4)が1年生の時は、疲労骨折とか、しょっちゅう、ケガをしていましたね。でも、小城先生(5)の期待がハンパじゃなくて、1年生の時から「こいつは将来、日本をしょってたつ選手になる」って、たぶん、みんなの前で言ってたと思います。でも、当時から亮は、周りがワーっとなっても、決して自分を見失うことなく、高校2年生からは、ずっと毎日、朝1人でウェイトとか、黙々と練習をやっていました。その時から、自分のやるべきことを、しっかりやるというスタイルで、それは、今もずっと変わらずにきていると思います」

ラグビーマガジンの記事で、高校時代、花園へ出場した時(※6)に、試合中に、大田尾選手が歯を折って、血を飲み込みながら試合をおこなったエピソードを拝見しました

大田尾「覚えてますよ。試合が始まって最初に、バーンと衝撃が走って、ものすごい血がでたんですよ。自分でも「あっ、歯が折れたな」って確認できました。ラグビーは、出血に関して、かなり厳しいんですよ。だから、止血のために、いったんピッチの外へでて、止血が終わって入る時に、タッチジャッジの人かな、役員の人に「もう1回、出血が確認できたら、止血できていないと判断して、退場になるからね」って、言われたんです。でも、自分の高校が、初めてベスト4へいけるか、という大事な試合だったんですよ。プレーした感じで、これ絶対にいける、勝てると思っていたので、ピッチを去ることだけは、いやだなと思ったんです。だから、プレーしながら、吐くこともできなくて、もう、本当に夢中でしたね。

でも、コンタクトの瞬間まで、ウァーって感じだったんですが、衝撃で、少し冷静になれたかなと。今思えば、逆によかったかも、と感じています」

横のつながりが深いと感じるラグビーですが、これまでに影響を受けたと思う人物は

大田尾「やっぱり、清宮さん(※7)かな。清宮さんは、目の前に起きたことではなく、その現象が起きた本当の原因を突き詰める。「実際の原因は、そこじゃないんだよ」という、ラグビー観を持った人ですね。例えば、プレー中のタックルミスは、なぜ起きたのか?、それは、タックルの前に、何かがあったから、必然的にミスが起こった、というように。どうしても、ミスをしたという結果ばかりに、目がいきがちじゃないですか。そうではないラグビーの見方、他には、人の特徴の活かし方ですね。大学の監督が、清宮さんになった時は、すごい衝撃を受けました。それから僕も、物事の本質を見極められるようにしようと、心がけています。出会わなかったら、プレースタイルも、考え方も、今とは全然違う、ラグビー人生を送っていたかもしれません」

ここまでラグビーを続けてきた理由は

大田尾「何だろう、う〜ん。嫌だからやめようというのは、別にないですね。僕が大学2年生の時かな、ラグビーのプロ化という波が始まりました。そのあと、1つ上の大悟さん(※8)がプロになったんですが、そういう波の中で、ラグビーをやるのは、どういうことなんだろうと、考えたことはありました。たまたま大学が早稲田ということで、いい就職口もたくさんあったし、ラグビーを続けることに対して、ここが人生の大きな岐路になると冷静に考えましたね。

ただそれは、続けていくなら、どういう形で続けていくのが、ベストかなと。プロになる、社会人で仕事とラグビーを両立する、もちろん、一切やらないという道もあるだろうし。そういった、いろいろな選択肢の中で、自分なりに、本当に考えました。でも、いつも出る結論は、自分が本当にラグビーが好きだから、続けてこれたんじゃないかなって、思いますね」

その選択肢の中から、ヤマハを選びました

大田尾「多くのチームから誘っていただきましたが、その中で、優勝していないチームへいこうと思っていました。早稲田の時は、いろいろなところで優勝しているし、何をしても、先輩が築きあげたもので、初というのがなかったんですよ。伝統が根付いた中で、ラグビーをすることは、すごいことだし、みんながプライドを持っているのは、素晴らしいと思います。早稲田でプレーしたことは、僕にとって大きな財産です。でも、初というものを作ってみたい、だったら、自分で作ればいいんじゃないかなと、いう思いがありました。ヤマハは、環境面も、ラグビーをやるには、素晴らしいところですし。あと、当時のラグビー部部長、山田さんには(※9)、早稲田の夏合宿、菅平へ、日帰りで、きていただいたりと、本当に熱心に誘っていただきました。大学では、ヤマハ出身のコーチ、後藤さん(※10)にも、相談して「おもしろいチームではあるよ」と聞いていました。いろいろ考えた中で、ヤマハに決めましたね。

入団を決めた年のバックスは、デラサウ(※11)や、四宮さん(※12)、サキ(※13)がいて、おもしろいなと、ずっと見てたんですよ。でも、僕が入団したと同時に、誰もいなくなりました。で、どうしようかなって思いました(微笑)。

その中で、サキは、コーチとして、ヤマハへ戻ってきたし、1試合だけ、一緒にプレーしたんですよ。去年の春、大久保グラウンドでやったクボタ戦※14)です。その1回だけなんですよね」

入団した時の、ヤマハの印象は

大田尾「入団して感じたのは、ベテランが、エネルギッシュで、元気がいいなって。あとは、外国人バックスの質が、すごく高かったですね。いいところへきたなと思いました」

レオン・マクドナルド(※15)選手や、外国人バックスは、錚々たる顔ぶれでしたが、今は、チームを去りました

大田尾「でも、彼らがいて、任せていた部分を、今は自分達がやらなきゃいけない。それは、それで、おもしろいんですよ。この3年間に、ウィリー(※16)やボフ(※17)、レオンからいろいろと学んだことを、やっと、自分がチームへ、プレーとして返せる立場にいる。やったことが、彼らみたいに上手くいかなくても、やらなければ、上達しないので。そのあたりに、ある意味、おもしろみを感じていますね」

※3)出身の県:大田尾選手は佐賀県出身
※4)山村選手:山村亮選手。ポジションはPR。愛称は、亮、亮さん
※5)小城先生:佐賀工業ラグビー部の監督
※6)高校時代、花園へ出場:第79回大会の準々決勝、対盛岡工戦。開始2分、激しいコンタクトプレーで出血時の話。チームは29−5で盛岡工を破り、準決勝へ進出。準決勝では、梶村選手・佐藤選手が在籍していた東海大仰星と対戦。7−23と東海大仰星が勝利

※7)清宮さん:サントリーサンゴリアスの清宮監督。早稲田時代の監督
※8)大悟さん:サントリーサンゴリアスの山下大悟選手。早稲田出身
※9)山田部長:元ヤマハラグビー部部長。現在は、トップリーグ事業部の事業企画管理責任者(エグゼクティブディレクター)
※10)早稲田大学ラグビー部コーチの後藤さん:後藤禎和さん。元ヤマハ発動機ジュビロ主将
※11)デラサウ:ビリモニ・デラサウ選手。03−04シーズン、ヤマハジュビロ在籍。その年のベストフィフテーンに選出。フィジー代表として、今年のワールドカップでも、存在感のあるプレーを披露
※12)四宮さん:四宮洋平選手。2001年ヤマハへ入社。3年間プレーしたあと、海外のチームで活躍。今シーズンは、近鉄でプレー
※13)サキ:ワイサキ・ソトゥトゥバックスコーチ。愛称は、サキ、ワイサキ先生
※14)クボタ戦:5月13日、雨の中でおこなわれたクボタ戦
※15)レオン・マクドナルド選手:04−05シーズン、ヤマハジュビロ在籍
※16)ウィリー:ネイサン・ウィリアムス選手。04−05シーズンから、昨シーズンまで在籍。今年は、トップウェストのホンダ・ヒートでプレー
※17)ボフ:ブレンデン・レーニー選手の愛称。05−06シーズンから、昨シーズンまで在籍

続く

インタビュー・文:清水(トラジュビ編集部、スポナビセレクトブログ、グラウンドから愛をこめてでも活躍中)


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