H20.2.2 トップリーグ第13節vs東芝ブレーブルーパス(ヤマハスタジアム)

ついにその時がやってきました。

バックスタンドからゴール裏、メインスタンドに戻ってきた選手たちが並びます。
応援席からの花束を受け取った村田亙選手の引退セレモニーが始まるのです。
応援席を立つ人はわずか、誰もがノーサイド後に生涯ラグビーを誓った大選手のこの時を見守るのです。


チームの選手が握手をし合うのはいつもの試合後の姿、その中に村田亙選手がいます。
チームスタッフに促され、「9」の番号のジャージに着替え、チームメイトと満場の村田ファンが見守る中、もう一度村田亙選手がピッチに戻っていきます。


ヤマハを優勝させる為に東芝から移籍し、関西リーグを戦い、ヤマハをトップリーグのフィールドに押し上げた戦士が芝を確かめるように一歩一歩進んで行きます。
選んだ道を究め、前人未踏の初めてのプロラグビー選手となり、毎年毎年を積み上げてトップ選手のままトップリーグ最年長となった男、40歳の村田亙選手が一人ヤマハスタジアムのピッチに立ちます。

村田選手を讃えるチームメイト、かつて所属した東芝の選手たちがピッチに出て村田選手の両脇に並びます。

静まりかえるスタジアムは一人の男の為だけにあります。

村田亙選手が育てた地域の小、中学校のラグビーの芽たちが見つめています。

引退の日が在籍した東芝戦、赤い応援団が見守ります。

青い波のような応援団は静まり、熱い熱い心の波を寄せているのです。

赤い東芝のジャージを分け、東芝の瀬川監督が花束を抱いて進みます。
関西リーグを戦った当時のキャプテン久保選手が進みます。
そして、お互いに高めあい40歳現役を誓いあったジュビロ磐田の中山選手が進みます。


引退を告げるメールをゴンに送りました。いつもはすぐに返信があるのに、その日はなかなか帰ってきませんでした。共に40才、トップであり続けた9番同士が並びます。
村田選手の9番の思いがジャージと共に中山選手に渡され、中山選手の熱い思いは生涯ラグビーマンの村田選手にジャージと共に渡されます。

青い炎の9番が並びます。

熱き厚い友情が並びます。

ラグビーとサッカー、種目は違えど常にトップアスリートであり続けることを自らに課した男がラグビーとサッカーの共用グラウンドであるヤマハスタジアムのピッチに立っています。

このスタジアムを燃やし、誰からも尊敬される二人が並びたつのです。

村田亙選手を支えたご家族がピッチをすすみます。常に影となり支え続けた婦人と、常に厳しくあった選手をなごませた愛するお子さんたちが進みます。
ピッチを見つめる人は誰もその声が聞こえませんが、静かに強く婦人を抱き寄せ、村田亙選手が何かを言う。
それは誰も聞くことができない、感謝の言葉だったのでしょう。



村田選手をヤマハに呼んだケビン・シューラー総監督が見つめます。
次代を託された佐藤選手、矢富選手、岡選手をはじめ、共に戦ったチームメイト、チームスタッフがが偉大なるスクラムハーフを送ります。

「まだ、何も決めていません。」

ラグビーという人生を選び、選手という季節を卒業する男が向かう先はどこまでも続くラグビーの道です。

スタジアムを埋めた人が目撃したのはまだ人生の半分にも満たないラグビーを愛す男の姿です。

この先も村田亙という名前はラグビーの世界で更なる前人未踏の世界を目指しつつけていくのでしょう。
節目を見たのにすぎないのだと誰もが思うのです。
「胴上げしよう!」ヤマハの選手たちが進みます。

村田選手の引退を節目としか思わないチームメイトたちが進み寄り、村田選手を囲んでいきます。
「俺たちもいこう!」東芝の選手たちが進みます。

不思議な縁で最終節、引退の日に戦ったヤマハと東芝、そして二つのチームでトップを極めた男を二つのチームが胴上げをするのです。

ラグビーを通じてできた仲間は一生の仲間である。ラグビーを表す言葉そのものにラグビー仲間たちが村田選手を囲みはじめます。

「よーいしょ、よーいしょ、よーい」と村田亙選手が飛びます。
青いジャージも赤いジャージも一緒になって手をあげ、村田選手を囲む幾重もの仲間が手をあげ唱和します。
メインスタンドに鈴なりになったファンが唱和します。誰もがこの瞬間を目撃したのです。


バックスタンドの応援団から今日の為に応援する心でつくられた幕が広げられます。
村田選手を愛し、敬意を表して全員が立ち上がって最後の応援をするのです。


赤い東芝の応援席の最上段に駆け上がった赤いフラッグが大きく振られています。
東芝で戦った日々を多くの人が覚えています。ヤマハとの対戦で村田亙選手を応援しつづけた人も多いのです。
ラグビーの友情は一生、今年のトップリーグのシェイクハンドの心は、選手と心通わせる握手でした。この時チームを越えてラグビーを愛する人の大きな心の握手が完成したのです。


村田選手が場内一周のランを見せます。ピッチのどこにいてもオーラを放つ一人のラグビーマンがピッチを一人で走る、メインスタンドに手を振る村田選手に見えていたのは赤い応援団の手作りの祝福でした。
誰もが「村田!」、「ワタル」、「ワタ」とそれぞれの呼び方でラグビー仲間に拍手を贈りました。


バックスタンドにヤマハの大旗が翻ります。全員が立って迎えます。
いつまでも友達でいよう、選手も応援も一つ、ラグビーを愛しているのです。そして最もラグビーを愛した男に祝福の拍手をするのです。


ピッピーッツと全員の心にホイッスルが鳴りました。
戦う男たちはニーサイドを迎えれば、互いにラグビーを愛する仲間に戻りお互いを讃えあう。

村田亙選手が一つの節を迎えました。
でも誰の心に鳴ったのは、試合終了のホイッスルではなかったのです。

「ラグビーVS村田亙 前半同点にてハーフタイムを迎えました」場内の放送はそう告げたように思います。
死力を尽くして戦った前半が終わり、村田選手はロッカールームに戻ったのです。

9番村田亙が再び現れ、ラグビーを愛する心を配りはじめます。
すぐ隣にいる私たちに、そしてロングパスして遠くのファンへ。

村田選手のように私たちはラグビーを愛する心を鍛え、常に応援の心のトップアスリートでいればよいのです。
今度はもっと多角的なパスを投げるだろう村田亙のパスを受けられるように待っていることにいたしましょう。

40歳のハーフタイム、どの1分もベストを尽くす40分を村田亙が戦い続けます。
後半の戦いを心待ちにして私たちは拍手を贈るのです。


引退会見
集まった多くの報道陣から送られる大きな拍手の中、記者会見場に姿を現した村田選手。
背番号9のジャージを脱ぎ、スーツ姿で臨む会見は「ありがとうございます」の言葉から始まりました。


――まず、村田選手からひとことお願いします

村田亙選手
「僕がメジャーになったのは、専修大学3年生で初めてレギュラーになってからだと思います。そのあと、東芝で9シーズン、フランスで2シーズン、そしてヤマハで7シーズン。大きなケガもなく、無事に終えることができました。また、今日の相手が東芝というのも何かの縁かもしれないし、本当は試合に勝って終わりたかった。でも、負けてもあれだけ大勢の温かいファンの方々がセレモニーまで残っていただき、当時の東芝の上司とか、たくさんの東芝ファンの方からも声援をいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうござます」

――今日は微妙な点差で出場しましたが、与えられた時間でどんなことを考えプレーしましたか

村田亙選手
「出場した時は点差が少しついていましたが、1トライでもとりたいという気持ちで、とにかくいいボールを繋ぎたかったなと。チャンスがあれば持ち込んでいきたかったですね。当然、いろいろとやりたいことは今日だけじゃなくあるのですが、とりあえず選手としては今日で終わり。今後は指導者としても、この舞台に戻ってこれるよう、勉強していきたいと思っています」

――選手としてのコンディションは


村田亙選手
「絶好調です。最後の最後で体は絶好調で、気力も体力も落ちていません」

――今シーズンは、ケガが多くなったことが自分に対するメッセージと言われていました。その中で、こんなケガをするようになったと思う部分は


村田亙選手
「僕は体が柔らかいので、基本的に顎から下のケガについてはすぐに戻ります。それだけ自己管理をしっかりしてきたし、お前は水泳部かというぐらいプールへ通いました。そこについて、全然問題はありませんでした。

ところが、顎から上の部分については、東芝でも脳震盪の多かった方でしたが、それに加え昨シーズンは都合3回ぐらい負傷したし、そのあたりがちょっと増えだしたかなと。あと、顎から上の部分を切ったりしたことで、僕は大丈夫と思っていても、トレーナーやドクターからストップのかかる期間が長くなってきました。ケガの箇所はメディカル陣も心配だったと思います」

――直接的に引退を決めたのは


村田亙選手
「引退というのは僕には無い、と思っていましたが、特にこの2〜3年は、レギュラーで無ければ引退しようという思いがありました。その思いを抱く中で、今シーズンは矢富が入団してくると聞き、最後は彼と勝負をしようと。

また、佐藤と岡も加えての4人体制となり一緒にプレーし、それぞれと勝負して出られなくなったら引退だろうなと。それは自分でもわかっていたし、その時点で自分の役目は終わるのかなと思っていました。一応家族の中では、今年1シーズンを精一杯やるということは決めていました。ヤマハジュビロの山岸GMには、トップリーグが開幕してから1・2試合終わったあたり、11月ごろに伝えたと記憶しています」

――今日、ノーサイドの笛を聞いた時は


村田亙選手
「終わってしまった、もう試合をすることもないんだ、と思いましたね」

――引退ということはトップでの現役引退を意味するのか、それともクラブチーム等で続けるのか


村田亙選手
「プレイングコーチのように、教えながら一緒にやりたいとは思いますが、トップリーグでプレーすることはないと思います。クラブ大会に出る選択肢ですか、そちらへ出た方がもしかして寿命が縮むのかも、なんて。アジアバーバリアンズは出ようかなと思っています」

――これまで一番印象に残る試合は


村田亙選手
「やはり、東芝が初めて日本一になった時の三洋戦です。秩父宮も札止め満員、開始何秒かで僕もトライを取りました。初めての日本一、社会人でナンバーワンになった試合。あの試合があったから、そのあとが続いたのかなと思います」

――村田選手にとって磐田とは


村田亙選手

「フランスのバイヨンヌから来た時は、同じ匂いがすると思いました。バイヨンヌは第二のふるさとですが、ここに7シーズン住んだことで、磐田は第三のふるさとになったのかなと思います」

――40歳という年齢までラグビーを続けてきた一番大きな理由は


村田亙選手
「僕がラグビーを大好きで、ラグビーを愛していたからこそ、40歳という年齢まで出来たんじゃないかと思います。続けてこれたのは僕だけでなく、大勢のファンの支えもあり、もちろん妻や子供達の支えもありました。みんながまだ村田亙に期待している以上、僕も続けられる限りずっと続けたいと思っていたら、いつの間にか40の大台に乗っていました」

――グラウンド脇で見守っていたご家族は、ノーサイドの瞬間に涙をこぼされていました

村田亙選手
「あの妻がいたからこそ、ここまで続けてこれたと思うし、子供達には発表の2週間ぐらい前に『パパ、今年でやめるんだよ』と言いました。でも、『何でやめるの、全然元気じゃん』と言われましたね。けじめだからやめるんだ、ということを伝えたら、ものすごく寂しい顔をしていました。今日は子供達なりにわかっていたと思いますね。

ここヤマハへきてから7シーズンの中で、我が家は、新たな命をふたり授かりました。4人の子供と妻は、これからも守っていかなければならない。そういった意味でも、これからは第2の人生を作っていきたい、そんな気持ちでいます」

――あの妻がいたからこそ、ここまでこれたというのは


村田亙選手
「彼女はものすごい強くて、フランスへ行く時も悩んでいる僕の背中を「行こうよ」と押してくれたり、日本へ戻りヤマハを選んだ時も「日本代表の為にやることも使命なんじゃない」と言われました。
それ以外に、試合前はマッサージをして針をうってくれたり、二人三脚というか、家族全員でここまでやってきたという感じです」

――ジュビロ磐田の中山選手から、今日はどんな言葉がありましたか


村田亙選手
「大体いつもは僕からメールを打つのですが昨日、久しぶりに彼からメールが来ました。『最後の底力を見せてやれ』みたいな文章だったと思います。彼は僕が入った7年前から『俺は40までやる』と言ってたんです。その時僕は『俺はそんなにできないよ』と思いました。

でも、彼がいたから、グラウンドこそ違えど、お互いに切磋琢磨しあったことで、ここまでやってこれたと思います。ゴンのおかげ、本当に感謝しています」

――お話していただける範囲で、今後の予定を


「いちおうオール専修、あるのかな。まだ話は来ていませんが出ることがあれば、本当の引退試合になるのかもしれません
し、どうでしょう。とにかく、今日が試合としては最後だと思っていました。7人制のコーチも年末にミーティングはありましたが、まだ流動的だと聞いています。指導者としてというか、大まかなプランで言えば、僕はヤマハで選手のかたわらスポーツ財団にも力を貸しています。先週、第2回助成金制度の面接官として参加してきました。この財団はそういった彼ら、彼女らに夢や希望を与えることができる。ここまでやってきたことも踏まえ、もっとこの静岡にラグビーを広げていきたい、という計画も無きにしもあらずですが、全てはシーズンが終わってからということです、これぐらでしょうか」

――最後に村田選手からメッセージを

村田亙選手

「僕は小学校1年生からラグビーを始め、今シーズンで34年目。ラグビーで人間形成されてきたと思います。だから今後もラグビーのみならずスポーツに携わって、みんなに恩返しをしていきたい。
ラグビーって、本当に痛みがわかるスポーツです。最近の子供達はテレビゲームに走ったり、なかなか外で遊ぶスペース自体もなくなってきています。だからこそ、静岡だけではなく、もっともっと全国にラグビーを広めたい。それはタグラグビーでもいいし、タックルありのラグビーでもいい。そういうことを教えていきたい。それができていけば、未来は明るいと思います。とにかくラグビーに携わっていきながら、プロモーションや普及活動に目を向け続けていければと思います。本当に、ありがとうございます」


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